先日、「チェ・38歳別れの手紙」という映画を見た。キューバ革命を成し遂げたゲバラが、ソ連への依存を深めるキューバ指導部内で孤立感を深め、世界に更なる革命を起こすため、コンゴ・ボリビアへと入っていく。
当時のボリビアの政権は、左派政権からクーデターで政権を奪った親米軍事独裁政権であった。
ボリビアへ入ったチェ・ゲバラは、キューバ人とボリビア人合わせて50余名でジャングルに籠もり、武装闘争の訓練を開始する。支援してくれるはずのボリビア共産党のモンヘに、彼は言う。「炭鉱の坑夫は、幼少時から働かされ、その50%が30歳までに亡くなる。そんな社会を変えてみないか?」だが、モンヘは、「武装闘争は支援しない、それ以外なら支援する」としか答えない。ゲバラの言葉は、虚しく響くだけだ。頼りにしていた、炭鉱の抗夫たちのストライキも、87名が軍事政権によって虐殺されてしまう。それを彼らは孤立した山の中で、ラジオによって知るだけだ。諸外国からの支援網も絶たれ、ゲバラたちは、仲間が50人から増えないまま、苦境に立たされる。
また、地元の農民や先住民も、1950年代の左派の革命によって、一定の土地や権利を獲得しており、ゲバラたちの武装革命に、無理して協力しようというものはいなかった。
間もなく、政府軍側は、特殊部隊をも組織して、分散した彼らを包囲する。チェ・ゲバラは、落胆する仲間達を前にして、ある夜、こう述べる。「この闘争は、ある種の機会を我々に与えている。最も崇高な類の人間である‘革命家‘になる機会を。また人間として最も純粋な形で成熟する機会を。」ところが、ある男は、言う。「もう学ぶ時期は過ぎた。坂を転げ落ちるだけだ。」
キューバ革命の成功までを描いた「チェ・28歳の革命」の国連演説でのエネルギー溢れる姿とはうって変わって、正反対の焦燥感と虚しさが響く戦いがずっと続くボリビアでの闘争・・・。ここでは、チェ・ゲバラの言葉は、全て空回りする。チェ・ゲバラの語る言葉が真実だとしても余りにも現実離れして聴こえる。
分散した彼らを、ボリビア軍は包囲し、遂に彼らは追い詰められ、ゲバラは、捕えられる。
そこで、彼が、唯一この映画の中で、輝く瞬間がある。人間ゲバラの凄みを感じる瞬間がある。それは、彼を監視する若い兵士とのやり取りの一幕だ。
「キューバには宗教(キリスト教)はあるのか?」
「国教としての宗教はないが、人々は神を信じている。」
「あなたは神を信じているのか?」
「私は人を信じている。」
若い兵士はハッとして一瞬たじろぐ。捕われ、監視されている相手に対してすら「私は人を信じている」と言い切るゲバラ。ある村で革命の利点について語っても、「この村の中で戦争は起こるのか」としか質問されず、そして、ボリビア軍に協力して村を捨てる村人達。彼は、そんな中で捕まっても「私は人を信じている」と言って憚らない。「革命には愛が必要だ」と語った彼の凄みを一瞬でも垣間見れるシーンである。そして「縄をほどいてくれ」と言う。監視役の若者は、いたたまれなくなって部屋を出る。
翌日、彼は処刑される。
確かに武装闘争はボリビアでは受け入れられなかった、50余名で政府軍相手に立ち向かうには無謀に過ぎなかった、だが、我々が彼に学べるのは、支援が全て絶たれ、地元の農民達にも裏切られても、そんな絶対的な絶望の中にあっても、ゲバラは「私は人を信じている」と言い切った、その、人間への愛と、虐げられたものたちを解放したいという無限の思いだ。
キューバ革命から50周年、ゲバラが生きていた時代も既に半世紀前となった。だが、革命には愛が必要だ、と言い切り、死を目前にしても、「私は人を信じている」という、信念の強さ。それがあればこそ、彼は悲劇的にもなり得たし、英雄にもなり得た。
映画の終わりのエンドクレジットでは、早々と音楽が終わり、完全なる沈黙の中、ただ、エンドクレジットだけが下から上へスクロールしていった。チェ・ゲバラへの哀悼の意を表す時間をくれたエンドクレジットだった。涙は出なかった。
聡明舎HPhttp://www.geocities.jp/toyo_yk/



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当時のボリビアの政権は、左派政権からクーデターで政権を奪った親米軍事独裁政権であった。
ボリビアへ入ったチェ・ゲバラは、キューバ人とボリビア人合わせて50余名でジャングルに籠もり、武装闘争の訓練を開始する。支援してくれるはずのボリビア共産党のモンヘに、彼は言う。「炭鉱の坑夫は、幼少時から働かされ、その50%が30歳までに亡くなる。そんな社会を変えてみないか?」だが、モンヘは、「武装闘争は支援しない、それ以外なら支援する」としか答えない。ゲバラの言葉は、虚しく響くだけだ。頼りにしていた、炭鉱の抗夫たちのストライキも、87名が軍事政権によって虐殺されてしまう。それを彼らは孤立した山の中で、ラジオによって知るだけだ。諸外国からの支援網も絶たれ、ゲバラたちは、仲間が50人から増えないまま、苦境に立たされる。
また、地元の農民や先住民も、1950年代の左派の革命によって、一定の土地や権利を獲得しており、ゲバラたちの武装革命に、無理して協力しようというものはいなかった。
間もなく、政府軍側は、特殊部隊をも組織して、分散した彼らを包囲する。チェ・ゲバラは、落胆する仲間達を前にして、ある夜、こう述べる。「この闘争は、ある種の機会を我々に与えている。最も崇高な類の人間である‘革命家‘になる機会を。また人間として最も純粋な形で成熟する機会を。」ところが、ある男は、言う。「もう学ぶ時期は過ぎた。坂を転げ落ちるだけだ。」
キューバ革命の成功までを描いた「チェ・28歳の革命」の国連演説でのエネルギー溢れる姿とはうって変わって、正反対の焦燥感と虚しさが響く戦いがずっと続くボリビアでの闘争・・・。ここでは、チェ・ゲバラの言葉は、全て空回りする。チェ・ゲバラの語る言葉が真実だとしても余りにも現実離れして聴こえる。
分散した彼らを、ボリビア軍は包囲し、遂に彼らは追い詰められ、ゲバラは、捕えられる。
そこで、彼が、唯一この映画の中で、輝く瞬間がある。人間ゲバラの凄みを感じる瞬間がある。それは、彼を監視する若い兵士とのやり取りの一幕だ。
「キューバには宗教(キリスト教)はあるのか?」
「国教としての宗教はないが、人々は神を信じている。」
「あなたは神を信じているのか?」
「私は人を信じている。」
若い兵士はハッとして一瞬たじろぐ。捕われ、監視されている相手に対してすら「私は人を信じている」と言い切るゲバラ。ある村で革命の利点について語っても、「この村の中で戦争は起こるのか」としか質問されず、そして、ボリビア軍に協力して村を捨てる村人達。彼は、そんな中で捕まっても「私は人を信じている」と言って憚らない。「革命には愛が必要だ」と語った彼の凄みを一瞬でも垣間見れるシーンである。そして「縄をほどいてくれ」と言う。監視役の若者は、いたたまれなくなって部屋を出る。
翌日、彼は処刑される。
確かに武装闘争はボリビアでは受け入れられなかった、50余名で政府軍相手に立ち向かうには無謀に過ぎなかった、だが、我々が彼に学べるのは、支援が全て絶たれ、地元の農民達にも裏切られても、そんな絶対的な絶望の中にあっても、ゲバラは「私は人を信じている」と言い切った、その、人間への愛と、虐げられたものたちを解放したいという無限の思いだ。
キューバ革命から50周年、ゲバラが生きていた時代も既に半世紀前となった。だが、革命には愛が必要だ、と言い切り、死を目前にしても、「私は人を信じている」という、信念の強さ。それがあればこそ、彼は悲劇的にもなり得たし、英雄にもなり得た。
映画の終わりのエンドクレジットでは、早々と音楽が終わり、完全なる沈黙の中、ただ、エンドクレジットだけが下から上へスクロールしていった。チェ・ゲバラへの哀悼の意を表す時間をくれたエンドクレジットだった。涙は出なかった。
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